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2008年10月19日 (日)

麻綿原高原のあじさい_麻綿原高原 妙法生寺天拝園

Cnv000024r_1妙法生寺天拝園(ミョウホウショウジテンパイエン)の境内内に到着。
写真は、本堂。

うんちく:
麻綿原高原は、標高362mの高原地帯。正しくは「まめばら」といい、昔から麻や綿が特産地だったことからついた名である。
ちなみに千葉県はもともと安房、上総、下総の3国からなっているが、「房」も「総」も”ふさ”、すなわち麻を意味しており、上質の麻や綿の産地であったことからつけられた地名だという。
麻綿原高原は建長5年(1253年)、日蓮聖人がこの地ではじめて題目を唱えたと伝えられる場所。
その後、弟子の日向上人が初日山妙法寺を建立したが、水利の不便さや火災に遭ったことなどから、廃寺となった。
数々の変遷の末、文政2年(1819年)に、江戸の金子利平が筒森の永島勝之助とともにこの地に18m四方の大伽藍を再建し、高さ2mあまりの日蓮聖人の立像を安置したが、管理の不完全さなどから立ち腐れになってしまった。
この地にあじさいが咲くようになったのは、昭和28年(1953年)ごろから。
箕輪日受師が妙法生寺を再建しようと、今は地名としてその名を残す天拝園を開いた折に、境内にあじさいを植えたのがはじまりだという。
現在では20万株もの大群落が見られる関東随一のあじさいの名所として知られている。
また、環境庁選定の「日本の残したい音風景100選」の地でもある。

ココの写真データは全部、
Nikon FA  Ai Micro Nikkor 105mm F2.8S
FUJIFILM SUPERIA Venus 400 (ISO400)

です。

Cnv000026r_2本堂横ににある石像。
何という名前の石像か分かりませんが、山ヒルの思いも忘れ(←しつこいぞ)、ほんわりとした気分になります。

Cnv000023r_3本堂のところのあじさいが一番のむらさき色でした。

Cnv000022rs_4やすらぎかんのん

観音さまとは慈悲と救済を特色とした菩薩さんの名前です。
この、やすらぎかんのん様は千葉市在住の竹蓋氏の発願により建立されたものです。竹蓋氏は麻綿原がアジサイを植え始めた頃、大多喜警察署長として赴任、数年前無事定年をむかえました。昔も今も変わらぬ麻綿原とアジサイをめでた方に、やすらぎと、生きる勇気を、と願いをこめて立てられたものです。

と書いてありました。

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