谷津バラ園秋バラ満開2009_その4_そとおり姫
そとおり姫※です。
今まで見た白バラの中で、最高の美しさでした。
しばらく、見とれてしまいました。
[撮影日:2009/11/3(火)]
Nikon D200 AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-200mm F2.8G(IF) at f4 1/180sec.(ISO100)
Nikon D200 AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-200mm F2.8G(IF) at f4 1/250sec.(ISO100)
Nikon D200 AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-200mm F2.8G(IF) at f4 1/160sec.(ISO100)
Nikon D200 AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-200mm F2.8G(IF) at f4 1/250sec.(ISO100)
※ そとおり姫(Sodori-Hime)
系統:ハイブリッド・ティー系(HT)
作出年:1975年
作出国:日本
作出者:小野寺 透
特徴:
~バラの話ではありません~
衣通姫(そとおりひめ)は、記紀に絶世の美女と伝承される人物。大変に美しい女性であったため、その美しさが衣を通して輝くことからこの名がある。本朝三美人の一人とも称される。
記紀の間で衣通姫の設定が異なる。
『古事記』には、允恭天皇皇女の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の別名とし、同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)と情を通じるタブーを犯す。それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する(衣通姫伝説)。
『日本書紀』においては、允恭天皇の皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつのひめ)の妹・弟姫(おとひめ)とされ、允恭天皇に寵愛された妃として描かれる。近江坂田から迎えられ入内し、藤原宮(奈良県橿原市)に住んだが、皇后の嫉妬を理由に河内の茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移り住み、天皇は遊猟にかこつけて衣通郎姫の許に通い続ける。皇后がこれを諌め諭すと、以後の行幸は稀になったという。
紀伊の国で信仰されていた玉津島姫と同一視され、和歌三神の一柱であるとされる。現在では和歌山県和歌山市にある玉津島神社に稚日女尊(わかひるめのみこと)、神功皇后と共に合祀されている。
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